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3月, 2018の投稿を表示しています

ハイヒールだからなせる技(マインド編)

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まず見た目が綺麗。美しいシルエットのものは、 まるで芸術品のようでもある。 見てだけでも気持ちが高揚してくる。 又、良くも悪くも女性を言うときに使われ、 女性を象徴する強いアイテム。 だからこそ履いた時に、気持ちが切り替わり 女性であることを再認識する。 履いていると常にヒールを実感し、 緊張感が生まれる。 そう簡単には綺麗に歩かせてもらえない。 エクササイズをする度に痛感させられる。 美しいハイヒールに釣り合う歩き方や 美しさを手に入れる為の厳しさや鍛錬を 教えてくれる。

美しき母として

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「○ちゃんのお母さん」 「母親だからこうあるべき」 という空気に日常晒される。 ただ、この事にあまりにも 雁字搦めにされてしまえば、 育児に 捉 われて自我が消えた母になってしまう。 例え1日で数分だとしても、 女性として気持ちが華やぐ事を 日常的に体感し、自分に投資し続ける事で 雁字搦めの罠に陥る状況から抜け出せる。 そして丁寧に話すこと。姿勢を整えること。 美しくあろうとする事を忘れないこと。 そのような女性が美しい母へと 繋がっていくのではないだろうか。 子どもから見ても、疲れ切った母よりも、 エネルギーを保った美しい母の方が良いだろう。 もし育児が一段落して、ふと自分を見た時に、 くたびれたい姿しか見えなければ、 それは、あまりにも悲しい。 美しき母としての分岐点は、 意識してこの時間を持つか持たないかである。

見つけた答え

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先日、拝見したsub Rosa のnanaさんが書かれた記事 ”依存のエネルギー” に釘付けになりました。 危機感 で書いた漠然と抱いていた不安に対する、 一つの答えを見つけたからです。 (以下、引用です。) なぜ危険なのかと言うと、自分がいかに甘やかされた 環境にいるか、自覚が無いからだ。 つまりは、知らないうちに自分の能力が 無力化されているという事だ。 厳しい言い方をすれば、無能化されていることに 気がついていない。 これほど危険なことがあるだろうか。 (中略) 一方で、「自分の能力を使う」ことを 忘れていないだろうか。 誰かから与えられないと、 何も出来なくなっていないか。 思考力、判断力、行動力、といった能力が、 どんどん退化していないだろうか。 知らない内に無能化されていく・・・ だから、やがて取り残されていく。 そういう不安だったのかと。 「至れり尽くせり」が前提だと、 提供側がお客様の為に、 その能力を使うことはあっても 顧客側が使う機会はあまりありません。 枝葉ばかりに目を配り 根幹が疎かになり、衰えてきているようなもの。 大きな樹でも倒れてしまいます。 生き抜くために必要な能力が失われてしまいます。 (以下、引用です) 美しいものに触れること。好きなことをすること。 行動の全てに意思を持つ。 「何となく」ではなく、狙いに行くこと。 そこに、依存の入り込む余地は無いのだ。 生き抜くための能力を磨きつつ、 己を護る術を身に付けることが必須になってきます。 最後に自分を護るのは、自分しかいません。

美しく無いことを言い訳にしない

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コンプレックスが全くない人はいない。 私も、以前は何も無かった所にシミが出てきたり。 化粧下地もファンデーションもUV対応の物を 年中つかっていたにもかかわらず。 今はサプリメントを飲んだりして、 薄くなってきている。 真っ先に顔を気にする事が圧倒的に多いが 全身の中で、顔の比率は意外と小さい。 シルエットが占める部分が大きい。 姿勢や歩き方を良くすれば、 だいぶ違ってくるだろう。 時が経てば、どこかに衰えが出てくるのは 誰にも避けられない。 それを感じさせない方は、 日頃から意識をして精進している。 長い間、積み重ねてきたからこそ 板についているのだろう。 羨むだけの方は、 その努力を垣間見ようとしていないだけ。 何もしなければ、ただ朽ちていくのみ。 意識をし始めるのは、誰にでも出来る事。 ハードルの低い所から少しずつ試してみては 如何だろうか。 何事も一日にしてならず、である。

瞬間を逃さない

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   淹れたての珈琲だけが持つアロマ。  食後に一口飲んだときに、珈琲の香りに加え  何ともいえない心地の良い薫りが広がりました。  数年振りの感覚。  デザートが食べごろになるまで少し待ち、  再び飲んでみたら、  そのアロマはすっかり消えてしまいました。    今回はかなりタイミングがよかっただけに、  非常に惜しいことをしてしまいました。  最高の瞬間に出会った時には、  それを逃さないように気をつけたい。

ハイヒールは足に悪いと思っている方へ

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見た目は素敵だけど、足に悪そう ピンヒールまで履こうとは 考えもしなかった かつての私もそうだった ハイヒールを履いても 外反母趾にならない と言うことを疑問に感じつつも 実現出来れば素敵だと思い レッスンの門を叩いた 外反母趾の主な原因が 足の筋肉の退化によるもの ハイヒールを履かない人でも 起こっている事を知り 驚いた 筋肉が出来ていない内に ハイヒールを履くのは 準備運動をしないで、 いきなりハードな運動を するようなもの 先ずは 足の筋肉を鍛えることが先決 少しずつ慣らしていくこと ハイヒールを履いても負けない 体の筋肉作りの為に 日々精進している ピンヒールで 颯爽と歩いてみたいから

起死回生への一歩

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「いかに早く出来るか」がまず重要視され、 「いかに手間をかけるか」は評価されにくい風潮。  むしろ生き残れないような雰囲気。 そのような時代の流れではありますが、 そこから抜け出す可能性はないのでしょうか。 一筋の光の事例として、 サロンドゥショコラを挙げます。 会場が沢山の人でごった返す中、 自分が食べるチョコレートとして、 ショコラティエが手間をかけて作った物を 選ぶ人は多いのではないでしょうか。 チョコレート以外の物でも 人が惹きつけられるストーリーや、 存在を知って貰えるような機会を作る。 実際に使える物、手が出せる物を作る。 もし高額で所有できなくても、 体感できる仕組みや機会を増やす。 少しずつファンを増やしていく。 消費者側も気にいった物があれば 継続的にサポートする事が求められます。 昔パトロン達が芸術家を支援したように。 サポートがなければ、努力も無になり 消えてしまいます。 手間が掛かった物だけが持つ味を知ってしまうと 他の物では満足出来なくなってきます。 インスタントな物で飽和してきている中、 分岐点が近づいて来ているのではないでしょうか。 COCO CHANELも言ってます。 「やがて本物が欲しくなってくる」と。

美しくあることを諦めている方へ

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私もかつては、美しく有ることに あまり関心がある方ではなかった。 現在は、少しずつ取り組んでいる。 昔、容姿が理由で失恋し、綺麗になって 相手に振り返ってもらいたいと言っていた方が、 数ヶ月後に発した言葉を思い出した。 「今は正直、相手の事はどうでもいい。 それよりも、自分がどんどん綺麗に 変わっていくことが楽しくて仕方がないわ。」 美しさにそれだけの力があることを 見せつけられた。 身近で出来ることを考えてみる。 例えばワンピースやアクセサリーを よそ行きの時にしか使わないのは、もったいない。 先ずは1日の一段落ついた僅かな時間に 着けてみる事から始めてみる。 時間や心の余裕が無いときには、 とてもそんな気になれないけれども、 だからこそ自分のために試してみては如何だろうか。 日常的に気分が上がる美しいものを使うことで、 その感覚を日々、自分の中に染み込ませていく。 積み重ねていけば、やがて自分を守る鎧にも なるだろう。