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2月, 2019の投稿を表示しています

効率化の代償

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同じ時間を費やすならば より多く処理し、より多く作れることが 求められるようになった。 コンピュータのデータなど 多くの処理が必要な分野では 使い勝手が良くなると思う。 ただ一方で、商品を作る世界だと 手間を掛けられなくなる。 そうなると画一的な物が増えてくる。 そういう物に囲まれると 自分もいつの間にか無機質になって しまいそうな感覚に陥りそうである。 これからの時代は個性化が必要と言われつつも 現状は相反している。 そんな折りに イル・プルー・シェル・ラ・セーヌから 業務縮小に伴う一時閉店の手紙が届いた。 ここは知る人ぞ知る拘りのあるパティスリーで 全国から菓子作りを学びに来るファンも多い。 そのような所でも縮小せざる得ない状況なのだ。 消費者が拘りのあるものを手に入れるための ハードルが更に上がったと言うこと。 もし拘ったものが欲しければ 傍観しているだけではなく、存在している内に サポートをしなければ、やがて消えていく。

美しく厳しい存在

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冬は毎朝、身体の状態をチェックする意味で ルブタンのハイヒールに足を入れる。 ここ数日は、どうにか踵を入れて履けたとしても 少しどころか、かなりの痛みが走り しばらく経っても和らぐことがなかった サイズの合わない小さい靴を履いたときのように。 通常なら次第に足に吸い付くようになり 痛みは徐々に消えていくのだが。 そういう時は、無理をせず他の物に履き替える。 体調は悪くはないのだが、生理だった。 他の靴ではあまり気づかないが ルブタンだと履いた途端に 痛みとして顕著に現れる。 身体の僅かな変化を繊細に感じ取って 教えてくれる美しく厳しいセンサーである。 朝にルブタンから得た結果を基に 身体の状態と向き合い どのように1日を過ごしていくかを 事前にコントロールをしていく。

無意識にしている足枷

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年相応、分相応にするのが 良いと言われるが そうすることで 自分の気持ちに自ら蓋をして いつの間にか自分に足枷をして 新たな可能性を失っている。 身分不相応の装いをする事で 中世ヨーロッパでは 木製の大きな襟などを 着けさせられ見せしめにされ 倹約令の頃の江戸時代では お上に連れて行かれる事もあった。 現在の日本ではそういう事は まずない。 年相応、分相応にこうあるべきというのは あくまで多数派の意見に過ぎない。 もし周りから相応でない言われても こうしてみたいという物があれば 自分の気持ちに耳を傾けて 一度は試してみても良いのではないか。 そうすれば、自分の可能性に一歩踏み出せる。